パネルディスカッション
裁判員制度は、何を変えたか?
2010年2月12日(金)18:OO開場18:30~20:30
奈良弁護士会館
奈良市中筋町22-1
近鉄奈良駅から東へ徒歩3分
参加費:500円
パネリスト
浅野健一
Ocean 運営委員・同志社大学教授・著書「メディア凶乱』」「裁判員と『犯罪報道の犯罪』他多数
高野嘉雄
奈良弁護士会・元日弁達副会長
原田正治
Ocean代表・犯罪被害者遺族・著書「弟を殺した彼と、僕。」
2009年5月より裁判員制度が導入されました。戦前の陪審制度から半世紀を経て市民が裁判に直接参加することとなりました。
この裁判員制度の実施により、被害者遺族にとっては何が変わったのか、また、犯罪報道の在り方は変わったか、裁判員は、死刑の判断とどう向き合うのか等裁判員制度の持つ問題点や今後の展望を講師の皆様からお話いただきます。
主催
Ocean一被害者と加害者の出会いを考える会
http://www.ocean-oceanjp/index.html
(社)アムネスティ・インターナショナル日本奈良グループ
http://amnesty-jpn459.cocolog-nifty.com/blog/
協力
当番弁護士を支援し司法への市民参加をすすめる会・奈良
(社)アムネスティ・インターナショナル日本死刑廃止ネットワークセンター
連絡先
小谷IEL 090-4279-7388
E-mail m27afe234c6k46@k.vodafone.nejp
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報告文
「裁判員裁判で何が変わったか」―被告人・被害者の視点から
制度開始から9カ月、Oceanが奈良でシンポ
「裁判員裁判は何を変えたのか」をテーマにしたシンポジウムが2010年2月12日夜、奈良弁護士会館で開かれた。「Ocean―被害者と加害者の出会いを考える会」とアムネスティ・インターナショナル日本奈良グループの共催で、報道関係者も含め約50人が参加した。
一般市民が裁判に参加する裁判員制度が昨年5月21日に施行された。そして8月3日から6日まで、第1号となる裁判員裁判が東京地裁で開かれた。共同通信が10年2月13日報じたところによると、全国各地での裁判員裁判は2月13日までに54地裁(8支部を含む)で計232件が終了している。
パネリストは、奈良弁護士会所属の弁護士で元日弁連副会長の高野嘉雄さん、「Ocean」代表の原田正治さん、元共同通信記者で同志社大学社会学部教授の浅野健一さんの3人。司会は同グループ・メンバーの田森洋樹さんが務めた。
シンポでは、まず、パネリストがそれぞれ裁判員制度についての見解などについて報告し、その後パネルディスカッションと参加者を交えての質疑応答が行われた。
まず原田さんは、被害者と加害者の出会いを考える場である「Ocean」を設立した経緯について語った。
その契機は1981年に発生した半田保険金殺人事件により実弟を亡くしたことである。その後、原田さんは加害者の一人である死刑囚との面会を通して、被害者と加害者の出会いについて真剣に考えるようになった。しかし、その矢先の2001年11月に刑が執行された。
「彼との面会を求めたとき、拘置所の職員から『被収容者の心情を乱すな』と言われ、『何のために会うのか、どうして面会したいのか』と聞かれた。被害者には事件の真相を知り、加害者に真摯な反省と謝罪を求める権利があるのではないか。しかし、役所も社会も、被害者は雨戸を閉めて、悲しんでいろというだけだ。あるべき被害者のイメージを押し付けている」
この経験から原田さんは「裁判員裁判になっても、刑事裁判は被害者と加害者を分断して勝手に進められている。被害者は裁判のための一要素でしかない」「検察官は凶悪事件では被害者の悲しみ哀れさを強調して、被告人には極刑しかないと言う」と指摘した。また「裁判員制度はみんなで被告人を取り囲み、いじめようとする制度に見える。このままでは被告人のためにもならないうえに、被害者のことも無視した制度になってしまう。被害者のプライバシーの侵害も心配だ」と、司法制度や法律について無理解なまま、一般人が裁判に参加する現状に危機感を示した。
次に、奈良で最初の裁判員裁判の被告人の弁護人を務めた高野さんは、冒頭で裁判員裁判を支持すると述べた。
それは一般市民の感覚が司法の場に持ち込まれることにより、職業裁判官の感覚を正すことにつながることが期待されるからである。冤罪・甲山事件を弁護した経験から、「冤罪を防ぐためには偏見なく被告人を見ることが不可欠であり、それには一般市民が司法に参加する裁判員制度に期待する」と語った。また一般市民が司法に参加することを通じて、犯罪者の更生の在りかたや犯罪を起こさないためにはどうしたらいいのか、という点にも関心を持つきっかけになるのではないかという。また裁判員裁判では重罰化が懸念されるという意見に対しては、「裁判員が参加してから量刑が重くなってはいない。これまで司法は量刑を相場主義で処理していた。裁判員はなぜ事件を起こしたのかに注目し、更生のためにどういう刑がいいかを考え、量刑をこれまでの相場に左右されないで判断しているのではないか」と述べた。
最後に浅野さんは、「裁判員裁判に反対はしていないが、この制度で裁判がよくなるというのは楽観的過ぎる。司法制度全般の改革が求められている」との見解を表明した。浅野さんはその上で、裁判員制度の変化を事件報道の観点から語った。そして「裁判員が事件に触れる最も身近な手段が事件報道である。メディアは、裁判員法案の制定過程において、公正な裁判を保証するために偏見報道には十分配慮すると公約し、新報道指針を作ったにもかかわらず、それが全く遵守されていない。実際、裁判員制度施行後の報道はほとんど改善されていない。公判前の被疑者を犯人視する報道が全く変わらないまま、一般人が裁判に参加するのは危険だ」と述べた。またメディアが、盛んに「裁く」という言葉を多用している点についても、「裁判とは、第一に冤罪発見の場であり、第二に更生の機会を与える場であることをしっかりと認識しなければならない」とも指摘した。
また、同大の浅野さんのゼミに所属する佐伯俊太郎さん(4回生)が、これまでに行われた裁判員裁判で裁判員が行った記者会見などを分析した資料を配布して説明した。また、裁判員制度に関するゼミの共同研究を紹介して「裁判員裁判が始まった当初は報道も注目していたが、最近ではほとんど取り上げられなくなっている。事件報道も表面的な変化にとどまっていて、根本的な問題の解決からは程遠い。共同研究では報道の分析や、現役記者へのインタビューから、事件報道が抱える問題について研究している。詳しく知りたい方は私たちの研究報告書がもうすぐでき上がるので、浅野ゼミのホームページから問い合わせてもらいたい」と述べた。
休憩を挟んで行なわれたパネルディスカッションでは、まず日本の裁判についてそれぞれの立場から意見が出された。まず原田さんは「裁判員制度、被害者参加制度には反対だ」と述べた。それは「これら制度が被害者のための制度とはいえない」とその理由を語り、結局のところ社会、司法、メディアが作った制度であると指摘した。また原田さんは、「被害者が求めるのは謝罪であり、贖罪である。それが『癒し』となる」と強く語った。また高野さんも、「犯罪は社会の病理現象である」と認識した上で、司法は犯罪の持つ社会性、つまりは日本の社会構造にまで目を向けなければならないのではないかと問題提起を行った。浅野さんは、代用監獄の廃止、弁護人立会権、接見交通権など、刑事手続きの民主化の必要性を訴えた。取り調べの可視化については「警察署内にこそ防犯カメラを設置すべきではないか。任意聴取の段階からの取調べの全過程の録画が必要で、第三者証人の取調べも可視化すべきだ」と語った。
次に事件報道については、まず原田さんが「被害者家族への取材の面では報道は昔よりも変わっているのではないか」と述べた。しかしながら、「被害者は黙って悲しむべきである」という固定観念がメディアには未だに根強く残っている実状にも触れた。浅野さんは、過激な事件報道の原因について、「ジャーナリストの品格の問題」を指摘した。つまり第一に「ジャーナリストの役割と任務とは何か、について徹底的に教育されていない」、第二に「他者から批判されない立場にあること」が根本原因として挙げられると述べた。それに対して高野さんは、取材を受ける弁護士の側にも問題があると指摘し、「私は捜査段階では一切取材に応じないが、公判段階では積極的に取材に応じ、また記者と様々な議論をすることもある」と語った。
会場からも質問が相次ぎ、さらに突っ込んだ議論が期待されたが、時間の制約で終了せざるを得なかった。
参加者のアンケートでは、《裁判員制度について考えあぐねていて参加した。メディアの問題点を取り上げてくださったのがよかった》《今後も本日のテーマや死刑その他について、継続を望む》《高野弁護士のお話で、裁判員裁判の何たるかの一部をつかめたように思う》《裁判員制度に賛成の立場と反対の立場がいて、充実したパネルディスカッションだった。時間が短かったのが残念だった》《取り調べの可視化や代用監獄の廃止のことももっと話が聞きたかった》などの感想が寄せられた。
裁判員制度に対する各パネリストの意見は異なるが、ただ現行制度ですべての問題が解決することはないという点は共通した認識であった。裁判員制度に一定の評価を示し、またその制度的効用に期待感を抱く高野さんも「一般人が裁判に参加することは良いが、制度を運用している弁護士に問題がある」と制度運用の問題点を指摘した。
一般市民が裁判に参加することにより、今まで以上に事件報道の影響が懸念される。高野さんは「裁判員裁判になる事件の報道は多少変化したように思うが、それ以外の事件報道に変化は見られない」と述べたが、一方では「被害者」に対する固定観念が原田さんの存在を特別視するメディアの実状は何も変わらない。浅野さんが問題提起したように、事件報道のあり方を改善するには、その担い手であるジャーナリストの自己改革と報道被害を防ぐ市民参加のメディア責任制度の確立が不可欠と思われる。
裁判員制度をどう改善するか、メディアをどう良くするかも市民参加で議論し、実行していくべきであろう。
裁判員制度が施行されても、そこに関わる人々の意識も変わらなければ何も変化は期待できない。制度によって人が変わるのではなく、人が制度を変えていく必要性を改めて自覚させられたシンポジウムであった。
この記事は同大・浅野ゼミの佐伯俊太郎さん、松野穂波さんと同大大学院・望月詩史さんの協力を得てOceanがまとめた。写真は浅野ゼミの山岡早紀子さんが撮影した。(了)
2010.2.21
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