記念講演 河野義行さん
被害者と加害者が出会うことの意味
こんにちは。40分程度の時間で私が考えることをお話したいと思います。(Ocean)事務局の方から、犯罪が起きたとき、加害者と被害者とに分かれるという話が出ましたが、実はもう少し複雑です。例えば、ある事件が起こったとき、明らかに被害者と加害者が分かる、というケースももちろんあるし、そのようなケースは多いと思います。
しかし実際には、こんなこともあります。
例えば長野県で実際にあった話ですが、塩尻市の河川敷で男女の焼死体が見つかりました。警察は自殺なのか他殺なのか、あらゆる判断でいろいろ解剖したり、聞き込みしたりしました。事件が起きてから7年ぐらいになるんでしょうか。実はまだこの2人は、殺されたものなのか心中したのかわからない。
つまり、他殺かどうか分からないケースがあるんです。
それから、本当は他殺なのに警察が、自殺と判断してしまったというケースもあるんです。
これは生坂村事件と呼ばれているのですが、1980年に長野県の生坂ダムで、ロープで縛られた死体が上がった事件です。警察は死体がロープで縛ってあるということで、他殺ということで捜査を開始したわけです。同時に、死因の特定ということで、ダムから上がったわけですから、そこの水を飲んでいるのかいないか調べました。例えば、もし肺に水がなかったら、これは明らかに他殺ですよね。ところが水は入っていました。そうすると、その水はダムの水かどうか特定しないといけない。プランクトン検査をやるわけです。約一ヶ月かかって、そのダムの水を飲んでいたということが分かりました。
つまりダムで亡くなったということが分かりました。しかし捜査を進めていくと、この男性が厭世的な発言をあちこちで言っていたという事が分かってくるわけです。自分は死にたいという話です。寄せられた情報の中で、自殺と考えられるような情報の方が圧倒的に多かったのです。
その結果、警察はこれは自殺である、と判断してしまいました。ところが、23年経ちましてですね、刑務所に服役中の男性から、「あの事件は俺がやったんだ」という手紙が長野県の豊科警察署に届きました。そして、捜査が再開しました。ほんとうに彼がやったかどうか裏付け捜査が必要になるわけです。3年かかって、やっぱりその人がやったんだということがわかります。しかしこの時点で、すでに23年たっていますから、刑事上の時効も民事上の時効も過ぎていました。書類送検はするけれども、言ってみれば不起訴処分という形で終わってしまったわけです。
23年たっていますが、この事件は他殺事件になりましたから、殺された人の遺族は被害者遺族になるわけですが、その被害者遺族を救う手立てが何もなかったのです。民事でも請求できないし、事件が発生した1980年は犯罪被害者給付金制度もない。それで法的には何ら救済が得られない状態でした。結果的には警察のOB会がカンパを募る運動をやって、警察が間違ってしまった事について、申し訳ないという気持ちを届けました。こういうかたちで決着したのですが、これは他殺を自殺と判断したケースです。
あるいは、私のケースの様に、被害者だけれど加害者として扱われたこともあるわけです。同様のケースは四件ぐらいあります。したがって、犯罪が起きたときに、捜査を警察がどこから始めるか、という問題があります。当然、被害者の周辺から、現場付近から捜査を開始するわけです。それが捜査の鉄則です。そんな中で、わずかな挙動不審やちょっとした変な発言がありますと、警察はその人を徹底的に調べるわけです。マスコミと違って、警察は「怪しいだろう」、「あの人は半分シロ」ということはないです。やったかやらないか、白黒はっきりつけなきゃいけないのが警察です。
私の場合は何で疑われたかというと、疑うに相当する理由があったということです。
それは本当に些細な事でした。私は、あの事件に遭うまでは、わりと真面目にやってきたという自負があります。「わりと」ですけれど。あの当時、310名の捜査官が私を徹底的に調べたけれど、別件での逮捕はできなかった。それぐらい真面目だったと認識してください。
ではなぜ疑われたか。
事件が起きたのが、今から14年前の6月27日の深夜でした。まず最初に犬が異常を起こして死にました。次に妻がおかしくなりました。私も家族も次々とおかしくなったわけですが、妻に異常が起きたときに私が救急に通報をしました。そのとき、妻に簡単な救急措置をしました。気道を確保したり、衣服を緩めたりしたわけです。それから自分もおかしくなって、立ってもいられなくなりました。その時に、私が苦しんでいる妻のところを離れました。妻から5~6m離れた玄関まで移動しました。この行動が警察には「疑惑」なんです。私はなぜ離れたのか。救急に通報したから救急隊員が来るはずですから、妻が苦しんでいる、一秒でも早く救急隊員を妻のところに誘導して早く助けてもらいたい、そういう気持ちが働いたから、玄関まで移動しました。しかし、警察から事情聴取で言われました。「河野さん、普通であれば奥さんが苦しんでる時に奥さんのところを離れる、こういうことはしないんだ。あんたの行動はきわめて不自然だ」と言われました。これは警察の経験則です。これが最初の疑惑です。
そして二つ目の疑惑、これは病院に運ばれた翌朝のことです。
刑事さんが来て「話を聞かせて欲しい」といわれたのですが、断りました。これがいけなかった。やはり事情聴取で言われました。「一被害者であればですよ、警察の事情聴取を断る、これは極めて不自然だ」という言われ方をされました。しかし断ったには断った理由があります。事情聴取を受けられる状況ではありませんでした。熱が39度以上ある。目をつぶれば幻覚幻聴の世界。体のいたる所が勝手にぴくぴくと痙攣している。酸素マスクを付け、体にはモニター発信機付けて看護婦さんがいつも監視している。そんな状況で、事情聴取どころじゃない。だから断りました。しかし警察から言えばこれは「疑い」なんです。
三つ目の疑惑は、その日の夕方です。
「河野さん、昨日何やってたの」と聞かれましたが、答えられませんでした。昨日のことが言えないのは、警察でない人でもおかしく思うかもしれません。しかし、これも理由がありました。サリンを吸った時には、記憶の領域が飛んでしまう現象が起きます。しかし警察から見れば、「この男は昨日の事も言えない、何か隠してるんだ」いう話になります。そんな小さな疑惑が三つ重なる。そして、決定的だったのは、薬品所持です。どんな薬品を持っていても、それが毒ガスにつながるのか、原因物質かどうかが問題ですが、私の家で保管していた薬品のほとんどは封印したままで、明らかに使われていなかったのです。しかし、一般家庭にはない薬品があった。これが大きな疑惑になったわけです。
では、警察はどの薬品に疑いを持ったかといいますと、青酸銀と青酸カリです。
これは写真の現像液に使うための薬品です。私は趣味で陶芸をやります。その陶芸と写真用の薬品が21種類あって、その中で警察が目に付けたのがシアン化化合物です。シアン化化合物が7名が亡くなった原因物質かもしれないと押収したけれど、実際はそうではなかった。おそらくその翌日には警察は分かっていたはずです。なぜなら、シアンは縮瞳という現象は起こさないです。亡くなった方、あるいは被害を受けた方全員、瞳が縮んでいました。これはシアンでは起こらない。シアンを押収したけれど、これは使えないという話でしたが、「有機リン系の農薬を探せ」ということになりました。
裁判所が許可した押収期間は一週間ありましたから、再度捜索がおこなわれます。そして二種類の有機リン系農薬が出てきました。スミチオンという、どこにでも売っている園芸用の農薬が100cc一本。そして、有機リン系農薬粉剤と書いてあるものが押収されました。有機リン系農薬粉剤は私は全く覚えがありません。「こんなこと書いてあるけど、そんなものがあったか」と刑事に聞いたら、「あった」と言うんです。「それはどんなものですか」と聞くと「バルサン」と言うのです。バルサンは有機リン系農薬粉剤です。そうすると、「河野の家には有機リン系の農薬二種類があって警察が押収した。被害者の症状とも矛盾しない」とマスコミにリークしたら、記者は信じます。結局、そんな事があって、約一年間、自分は疑われる事になりました。
妻は救急車が来たとき、心配停止の状況でした。そして14年間意識が戻らない。そしてこの6月19日に、医師から余命90日以内と宣告されました。これが私の家にとって一番大きな被害です。
まさに、殺されそうになったという事です。そして、被害者としていろんな大変な事が襲ってくるわけですけども、次に大変だったのは、実は医療費です。私の家族は5人家族ですが、4人が入院しております。子供は短い期間でしたが、4人が入院しました。入院して一週間後に病院から請求書が来て、治療費の総額は、一週間で300万円でした。保険はありますが、自己負担の割合は当時2割で、それでも一週間に60万円の自己負担です。このような請求書をもらったら、どんな治療をしたって生きていけないという、そんな思いです。このペースで請求書が来たら、治療費を払い続けていけるのかという心配です。当初は気管支切開手術があったり、そういう手術が重なったために医療費が跳ね上がったとはいえ、その後も自己負担で毎月15万円ぐらいの医療費がかかりました。
何にもなくても、いっぱいいっぱいで生活している一般的なサラリーマンでも、毎月15万円の医療費を支出しなければならない。 私は一ヶ月ちょっと入院して、半年間ほど働けませんでした。そうすると給与は6割支給でした。私の場合は、経済的な圧迫がありました。
犯罪被害者というのは、それぞれ欲しいものが違うわけです。大金持ちだったらそんな経済的な負担はなんともないわけですが、一般的なサラリーマンでしたら、まず経済的な負担がかかってきます。次に大変だったのは、施設の問題です。医療保険の点数の関係だと思いますが、病院は3ヶ月ぐらい入院すると、お荷物の患者さんになってくるわけです。「ぼちぼちどっかへ移ってください」 こんな話が出てきます。私の場合、6月に事件が起こりましたから3ヶ月たった9月ごろに病院から言われました。「奥さんの医療的処置は、全て終わった」「ぼちぼち施設に移ってもらえないか」 とそんな話が出ました。施設とは、重度身体障害者の養護施設ですが、5年経たないと入れないのです。そういう施設に入るのは、突然交通事故にあってしまう、あるいは犯罪にあってしまった若い方でも対象になるのにです。
私が逮捕されると、世間的には私は「犯人」にされます。容疑者あるいは起訴されて被告人と言われても、世間的には「犯人」です。そうすると、私の妻は犯人の妻、殺人者の妻なんですね。それで、私の妻を受け入れてくれる施設あるいは病院があるかと考えたんです。逮捕されれば働けないし、支払い能力はなくなります。なおかつ殺人者の妻という事になったら、おそらくどこも妻を引き受けてくれないだろうと、容易に想像がつきました。そうすると妻はこのままいくと意識不明のまま居場所がなくなってしまう、自分の居場所がなくなってしまいます。これは私にとってとても辛い事でした。私には手段がなかった。
そんな中で松本市長に嘆願書を書きました。「市長、何とか助けて欲しい」 と。しかし、私の妻を助ければ、市長は世間からバッシングを受ける、そういう環境なんです。「そんな悪い奴の妻をどうして市長は助けるんだ」と。とても動きづらい。しかし、当時の市長は動いてくれた。「河野さんの疑惑と奥さんの人権は別だ」 と市長は言ってくれました。
そして病院に社会部長を派遣して、いろんな調査を開始した。そういうことがあって、病院の言い方が変わったんですね。「奥さんの居場所見つかるまでいつでもここに居て頂いて結構です」と。悪い奴って言われてる時は、世の中は冷たいです。本来、仮に私が松本サリン事件を起こした犯人であっても、それは裁判所が私に対して罪相応の罰を与える事がルール、法律です。しかし実際の世の中はそんなものじゃない。私だけじゃなくて私の家族、あるいは友人、関わっている人全部、否定されていくのです。世の中から排除されるのです。それが現実的な世の中なんですね。
私の友人で松本市内に住んでいた人のところに、町会長が来て、「あんたは河野の友達だと聞く。そんな人ここにいてくれちゃ困る。この町内から出て行け」と言われました。 あるいは、私の親戚筋でお嫁に行った人がいました。「犯人の親戚をここにおいておくわけにはいかない。離婚してもらいたい」 と言われました。いってみれば罪を犯した人が相応の罰を受けておらず、加害者といわれる人の家族や周辺まで、世の中はバッシングし排除してしまう。それが現実です。加害者の家族は、被害者の家族と同じぐらい実は辛い環境にあるという現実をぜひ知っていただきたいと思います。加害者の家族というのは、本来すくい上げなければいけない、そういう人たちだと思うんです。ところが、加害者の家族は加害者と同じように叩かれて「ここから出て行け」と言われるわけです。
今日は被害者と加害者がテーマです。今日は藤永幸三さんが来られる予定でしたけど、ちょっと不手際があったようで、来られませんでした。彼は、元オウム真理教の信者さんです。そしてサリン事件が起こりまして彼は別件逮捕され、そして本件では殺人幇助で10年間の実刑を受けた人です。
彼は何やったのかと言うと、オウム真理教にいる時に、図面を渡されました。それは車両の改造だったのですが、藤永さんは溶接技術がとても上手だったので「お前、この通り溶接しろ」 言われ、彼は図面通り溶接しました。それが、実はサリンの噴霧車として使われました。彼はその時はその車が危険なのかどうか知らなかったそうです。しかし警察にうまく誘導され、「お前は最初から危険だという事を知ってたろう」 と言われ、「うん」といってしまい、10年の実刑を受けました。「お前もばかだなぁ」と言いましたが。「溶接して10年間刑務所か」 という話を当時しました。
実は彼は私が書いた本を刑務所の中で読んで、私に会いたいと思ったそうです。2006年の3月に刑期を終えて、6月に私の自宅を訪れました。彼は私の自宅の住所知らなかったのですが、アーレフの方へ問い合わせたそうです。それで、6月に奥さんのお見舞いに行く話があって一緒に来ました。ちょうど現場に献花して家に入っていただいてみんなでワイワイやったわけです。「あんたどうして逮捕されたの」 と聞いたら、密教の道具を持ってて、それが先が尖がってるという事で銃刀法違反で逮捕されたそうです。
藤永さんに刑務所の生活の事を聞いたら、庭の木の剪定技術を刑務所で勉強したそうです。社会復帰した時に役に立つという事で勉強したそうです。私の東京の友人が、「あんたそんな技術があるなら、ここの庭を剪定したら」と言ったら、彼は山口県から、高速バスが一番安いって事で十何時間も山口からバスに乗って、我が家の庭の木の剪定に来てくれるようになりました。世間的には彼は10年間の刑務所を終えた人ですが、刑期が終われば、この国のルールでは「リセット」のはずですが、刑務所から帰ってきたとか悪い事をしたというようなラベルが残って、なかなか世の中に受け皿が出来ていないという状況です。
どういうわけか、うちの子供や私の友人は全く気にしないんです。私は藤永さんと話していた時に、とても真面目な青年という印象を受けました。一回目の庭木の剪定の時に、実は講演で県外に行っていて、私は家にいなかったんです。「鍵はここにおいてあるから勝手に入って、あなたの部屋は二階に用意してあるからそこに泊まってほしい。ご飯炊くなら米はここにある。冷蔵庫の中は全部自由に使ってくれ」と言いました。藤永さんは、私の家を自分の家のように使ってます。そして子供たちと偶然会った時に、私は子供たちに彼を紹介しましたが、「この人は元オウム真理教の信者で、今は脱会してるけどもサリンの噴霧車を作って、そして10年の刑期を終えて出てきた藤永幸三さんです」 と何も隠さず説明しました。長男は「僕ひとしです、よろしく」 みたいな感じでやってるんです。ご飯はみんなで作ってみんなでお皿つついて、回して食べました。私の友人も全く同じです。普通に食事してお皿回して食事して、後から「あの人ってオウム、元オウムの人?」と聞くから、「そうだよ」って言ったら「やっぱりそうかと思った」と言うんです。なんとなく雰囲気があるんでしょう。でも普通に食事もし、諏訪で大きな花火大会、今年で3回目になるんですけど、そんなところも家族で一緒に行きました。そういう環境が藤永幸三さんにとっておそらく居心地のいい環境じゃないか、つまり自分の居場所があるのでしょう。
刑務所を出てきた人の再犯率が高いという話があります。刑務所では矯正教育で、社会に出たらこうしなさいという教育はしっかりしてると思いますが、それは言ってみれば刑務所の中の話で、社会に出た時に社会はどんな場所であるかという教育をほんとうにしているのかと思います。
例えば刑務所から刑期を終えて出る。所持金数万円あればいいですが、二、三万円もって社会に出て、立派な教育はしたから立派に社会でやっていけと言われても、刑務所から出てきてすぐに雇ってくれる会社はどれだけあるでしょう。一、二万円のお金はホテルに一泊すればあっという間になくなり、生活の場所、居場所すらない状況で放り出されているのが今の現状です。彼らが真面目に働こうと思っても、現実はそんな生易しいものではない。塀の中の教育だけでなくて、本当は塀を出てから彼らの居場所をきちんと作る、そういった施策をしないと難しいと思います。働くところがなくてお金がなければ、悪い事するしかないです。私だって恐らくそうすると思います、生きてくためには。
何よりも「受け入れる社会」が必要です。
刑務所から出てきたというだけで、その人がどういう人かは別で、なんとなく近寄らない方がいいんじゃないかと、言ってみればその人を排除してしまう状況です。ですからほんとうに大事な事は、社会がそういう人たちを受け入れる場所を作る。それが出来なかったら、国がやったらいいじゃないですか。刑務所OB株式会社みたいな会社を作って、とりあえず出てきたら、一年間は働く場所を作りましょう、と。そして、その間に信用を作って就職してください。そういう受け皿がどうしても必要と思います。
それから、私は一貫して「オウムの人、あるいは加害者の人を恨んでいませんよ」 とずっと言い続けています。「ウソだろ」と マスコミも言います。昨日も取材があって、二度も念を押して「ほんとに恨んでないんですか」 と聞くのです。マスコミは、私にとっては加害者です。マスコミは自分が加害者だということを忘れているんです。私は何で恨まないかと考えた時に、人生は平均寿命で80何年ですけど、それぞれの寿命は全部バラバラです。言ってみれば、明日まで生きられる保障がある人は手を上げて下さいというと誰もいないと思います。誰も保障はないんです。生きてるかもしれないし、死んでるかもしれないのが現実です。つまり人生というのは長いかもしれないし短いかもしれないですが、いずれにしても限りがあるという事です。その中で、人を恨む、例えば加害者を恨む、あるいは加害者という人を恨む憎む、そういう人生が自分にとって本当に幸せで楽しいものかと考えた時に、恨んだり憎んだりしている人生が楽しいはずがないでしょう。もし自分の人生がうんと短かった場合、恨んで憎んでそういう人生ですぐ終わってしまうかもしれないわけです。あまりにももったいない、というのが考えの一つです。
それから恨むというのは労力は大変ですが、何の生産性もないです。ですから私はそんな労力を使って何の生産性もない、そういう人生は送りたくないという思いで、実は恨みを切り捨てているのです。そんな正義感があるわけではないのです。自分にとって損な人生だったら選ばないよと言っているわけです。そういう死生観からきているわけですが、それは実は私は何度も死にそうになった経験があるからです。
例えば、小学校6年生の時の修学旅行に出先で具合が悪くなって、お医者さんを呼んでもらったら、食当たりという話だったのですが、薬を飲んでもまったく効かない。家に帰ってからお医者さんに来てもらいました。お医者さんが帰るときにいきなり体を、背中を何かに掴まれて、地中に引き込まれるような、そういう感触を受けました。まだ小学生ですから「怖い怖い」と 言ったのです。それを見て医者が「足に傷がないか」と聞き、見たら傷があって、実は破傷風だったのです。
破傷風は結構死亡率が高い病気です。その時は血清治療で命は助かりました。
次に大学を卒業して京都で仕事中に乗用車同士ぶつかって、私の車は全損で二ヶ月ぐらい入院しました。ぶつかった瞬間は死んだと思いました。車は死んだけど私は生きてました。
そして三回目は私が結婚して松本に来た時に、私は大型バイクで相手はライトバンで真正面でぶつかりました。私の大型バイクのフレームが半分に折れて、ぶつかった瞬間、10mぐらい後ろに飛ばされました。私は柔道をやっていたから受身で落ちたのですが、上からダラッと熱いものが流れてきた。「血が出たんだな」と見たら透明です。あれ、脳の何か液体が洩れたかなと思いました。実はこれは、オートバイのオイルでした。私のバイクはフレームにオイルが通っていて、フレームが折れてオイルがヘルメットの上から流れてきたのです。その事故を見た人は「あれは死んだわな」と言っていました。
そして次にサリンです。サリン吸った時には死ぬと思いました。それでもやはり生きています。あんたゴキブリより丈夫だねと、よく言われますが。ですから、自分には一つの死生観があるんです。死のうと思っても人って死ねないんじゃないか。生きようと思っても生きられないんじゃないか。そんな死生観の中で、いずれにしても人生は有限だ、いうことです。有限ならばやはり自分は楽しい人生を送りたい。ごく当たり前の事だと思います。そうすると、楽しい人生を送るためには人を恨んでたら、それはつまらないものになるから、恨みというものを捨てた。しかし、なかなか信用してもらえません。マスコミは自分たちも同じぐらい加害者なのに、よくオウムを許しますね、と言う。そういう現実です。
マスコミは自分のことは忘れているのです。
いずれにしても、加害者と被害者が出会う意味ですが、よく被害者の人が言います。真実を知りたい、事件の真実を知りたい、と言います。では裁判でその事件の真実が出てくるかというと、裁判では出てこないです。裁判は起訴事実に対しての事実認定です。事件の全容は何か。自分の息子、あるいは娘がなぜ殺されたのか。そういう事実は裁判では出てきません。そうすると、真実を知りたいのであれば、加害者に直接聞く。それも自分が話す時に、世の中から不利益を被らない環境が出来た時に、お互いが話し合う、そういうことが被害者の一番知りたい事件の真実を知ることにつながる、と思います。
しかし、加害者と被害者は、なかなかアプローチできないのです。加害者がどこにいるのか、被害者がどこにいるか、わからない。それが現実です。そういう時に、媒体物質が欲しいんです。それが、Oceanという団体ですよね。介入していただいてつないでいただく。こういう役割はやはりOceanのようなNPOがあると割とスムーズにいくと思います。そこにOceanの存在する意義がある。そう思います。
▲記念講演講師:河野義行氏
▲ocean代表:原田正治
Ocean-加害者と被害者の出会いを考える会設立一周年記念講演・シンポジウムに寄せて
トシ・カザマ(Ocean運営委員・MVFHR理事)からのメッセージ
本日は皆様遠方からも足を運んで下さりありがとうございます。私はニューヨークにて膝の手術をしたため、今日この場に皆様と居られない事をとても残念に思います。この記念すべき会に参加出来ず申し訳ありません。
本日はモ日本の歴史に残る日モになると、私は嬉しく思っています。オーシャン設立は一年前、原田正治さんも含め委員の皆さんも逆風を覚悟しての出航でした。決して順風満帆だとは言えませんでしたが、日本の会では初めてであろう被害者遺族と加害者との会話の場を持つ事が、一年経った今日出来ました。運営委員の皆様の惜しみない活動に感謝しています。
日本の世論の犯罪感情の多くは、被害者家族は皆、目には目をと言う気持ちで極刑を望んでいると誤解している様です。一人一人が違う様に、犯罪も、被害者も、遺族の気持ちも皆違いますし、感情は時と共に変わる事も多くあります。被害者、そしてその家族に対する経済的援助、多面に渡る精神的なケアーを個々にあわせて行う事の方が極刑だけを望む事より大切だと、私は自分自身の体験そして多くの被害者遺族に接して痛感しています。
世界各国の多くの被害者、そしてその家族または遺族は、犯罪によって生じた病む心、悲しみ、憎しみなどのマイナスの感情を、加害者または加害者家族と出会う事でプラスの感情が産まれたと語っています。同時に加害者やその家族の気持ちにもプラスになる事が多いです。日本にも多くの人が声を出さずに同じ様に思っている方がいると思いますので、今後多くの方にオーシャンの場を利用してマイナスをプラスに変えて頂きたいと希望しています。
本日、お集りの犯罪の両側に立つ皆様が心を開いて全てを語る事で、戻らない命、傷、時間、被害、悔やみ、後悔、悲しみの気持ちに一筋の光が射してくれればと願っています。その光が今後、犯罪者や被害者の少ない社会を創っていく一歩と信じています。
ニューヨークの自宅より愛を込めて、
風間 2008年7月26日
追伸、辿々しい日本語をお許し下さい。ご参加の皆様、今会議の経費のカンパを100円でも1000円でも多く寄付して頂きたくお願い申し上げます。
国際NGO「人権のための殺人被害者遺族の会(MURDER VICTIMS' FAMILIES FOR HUMAN RIGHTS(MVFHR))」からOcean創立1周年に寄せられたメッセージ(下部に翻訳)
Murder Victims' Families for Human Rights
July 26, 2008
On the first anniversary of the founding of Ocean, Murder Victims' Families for Human Rights would like to salute the group for its courage and dignity in serving as the collective voice of victims' family members who seek alternative responses in the aftermath of tragedy.
The need for this voice is more urgent than ever. The pace of executions in Japan has reached its highest level in over three decades, and there appears to be broad public support for capital punishment. But part of that support comes from the belief that executions are the way to achieve justice for victims' families and the way to help victims' families heal in the aftermath of their loss. We know that not all victims' families feel that way -- not in Japan, not in the U.S., and not in the other countries around the world where Murder Victims' Families for Human Rights has members. The recent increase in executions does not solve the problem of violent crime and does not help the families of victims; indeed, it creates a new set of victims in the families of those executed.
As the Japanese affiliate of Murder Victims' Families for Human Rights, Ocean is part of a struggle to uphold human rights around the world. We hope for a world that truly honors the lives of those lost to violence.
2008年7月26日
Ocean創立1周年にあたり、殺人という悲劇が起きた後に、従来とは異なる対応を求める殺人被害者遺族の声を広く集めようとしているOceanの勇気と威厳に、「人権のための殺人被害者遺族の会(MVFHR)」は敬意を表します。
このような声の必要性は今まで以上に高まっています。この30年間の日本における死刑執行数の増加は世界のトップレベルに達しており、死刑は広く一般に支持されているように見えます。しかし、この支持は被害者遺族の正義の実現や遺族の喪失感を癒すために死刑は必要との思いこみから来ていると思われます。MVFHRのメンバーがいる世界中のあらゆる国ぐに、日本や米国においても、すべての被害者遺族がこのように感じていると私たちは思いません。最近の死刑執行数の増加は暴力的な犯罪の問題解決にはつながっておらず、被害者遺族の支援にもなっていないばかりか、実際には新たな遺族―執行された死刑囚の遺族―を生み出しています。
MVFHRのアフィリエイト団体でもあるOceanは、国際的な人権を守る戦いの一翼を担っています。暴力により命を落とした人びとに真に敬意を表する世界の実現を私たちは求めています。
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